天理参考館見学と山の辺の道散策


2021315日(月曜日)

3班の班長、吉村さんが新聞の切り抜き「神獣鏡 天理に里帰り展示」という記事を持ち込んでくれました。

天理大学付属天理参考館で「天理 山の辺の古墳」展が315日まで開かれている。

最終日に植田先生のご都合をつけて頂き、委員長の三國さんが計画を立てクラスの皆さんに参加を呼びかけました。

 

集合時間:10

集合場所:JR・近鉄天理駅

 

天理駅前からバスの乗り、天理参考館へ
中バスの

バス2

参考館前

天理参考館

〇天理参考館

お目当て「三角縁神獣鏡」
三角縁神獣鏡

鏡を見る

鏡1


集合写真

参考館の展示品は素晴らしくおおいのでお昼までの時間があっという間に過ぎてしまいました。

天理商店街で各自昼食を頂き、天理駅発1321分発の電車に乗り柳本駅着1327

 

〇黒塚古墳へ

全長約130mの前方後円墳。大和古墳群にある。平成9(1997)8月から発掘調査が開始され、後円部中央の竪穴式石室から、1面の画文帯神獣鏡や33面の三角縁神獣鏡などの副葬品が完全な形で出土した。一つの古墳からの三角縁神獣鏡の出土数としては全国最多である。三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から贈られたとされる「卑弥呼の鏡」と呼ばれるもので、大和の中心部で見つかったのは初めてであるだけに、邪馬台国論争を左右する重要な手がかりになるものとして、注目を集めている。築造は3世紀後半から4世紀前半頃で大和政権の有力人物の墓と推測されている。
黒塚古墳


黒塚古墳2

黒塚3

3黒塚

黒塚5


〇崇神天皇陵
崇神天皇陵

大和朝廷の創始者とされる第11代天皇、崇神天皇の陵墓「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)」として陵墓に指定され、宮内庁が管理しています。
地域の名を取って「行燈山(あんどんやま)古墳」とも呼ばれています。
周濠に沿う緑が美しく、展望も良いことから、山の辺の道を歩く人達にとって、絶好の休憩場所として親しまれています。
古墳は全長約242m、後円部径約158m、口縁部の高さ約31m、前方部の幅約100m、前方部の高さ約13.6m、周濠を含めた全長は約360m、最大幅約230mの巨大な前方後円墳です。築造された年代は4世紀後半(古墳時代前期後半)の早い時期と推測されています。
埋葬施設は不明ですが、昔の絵図には後円部墳頂に南北方向の盗掘跡と見られる掘り込みが描かれており、掘り込みのようすから竪穴式石室と考えられています。
遺物は周濠から銅板、金銀細工品、土器などが出土しています。
銅板は縦54cm、横71cmほどの長方形で、採られた拓本には表面に内行花文鏡に似た文様、裏面に四区画に分けた文様が陽刻されています。鏡に関係した銅製品と考えられますが、他に例が無く、用途は不明です。
また、この古墳は大王墓にふさわしく、3基の陪塚を伴っています。南アンド古墳(全長65m)、アンド山古墳(全長120m)、天神山古墳(103m)です。全て前方後円墳で、地方では豪族クラスの規模を誇ります。

〇櫛山古墳

柳本町に所在する全長約155メートルの前方後円墳で、行燈山古墳のすぐ東側に隣接します。前方部を両側に築いた独特な墳形であるため、双方中円墳とも呼ばれています。1948年~1949年の発掘調査では、長さ 7.1メートルの竪穴式石室と長持形石棺の一部がみつかり、腕輪形石製品類や鉄製品などが出土しました。4世紀前半に築造された古墳時代前期後半の古墳です。国指定史跡
古墳櫛山

櫛山

櫛山古墳を一周して解散しました。

皆さん、お疲れ様でした。

植田先生、ありがとうございました。
楽しく、分かり易い説明に深く感謝申し上げます。