12月 18日 (金) 午前 10:30~ 12:30

授業風景          文責 3班 佐々木さん

植 田先生所蔵の貴重な品々の説明を頂 く。
植田先生

一点ずつ手に取 りさっと見て、その後 説明頂 きなが らじっくりと手にとり見せて頂 く。
ホンマに奈良時代の土器かな と一瞬疑問。
でも、植 田先生の真剣 な表情で本物 と確信 しま した。
お金に換算出来ない位、貴重な品々 です。
奈良時代の土師器、須恵器は等価交換であった らしい。
土器は税 として物納 され都に 日本中 の土器が集まった。
無骨な土器は地方で作成 され、へ こんでいるのが指の跡。
シャープな土 器は都で作 られた規格品であるとの事です。
欠けている土器 もあるが、植 田先生の説明通 り指の跡 もハ ッキ リと確認できた。
須恵器の方が製造す る上でコス トが掛っているが等価交換であった。 (数 々の品)
須恵器・土師器

◆ 700年前のペルシャの陶器、縁の鮮やかなブルーに羽根のある馬が彩色 され、又、 緑の葉(ハ ー ト型)も 斬新なデザインの、現在でも通用す る素敵な器(う つわ)が 素晴 らしい。
ペガサス2

中東の器

◆唐三彩の象 さん、仏像にお供 えされたライチや揚 げ菓子の ミニチュ ア。
翡翠もあ りま した.ヒスイは糸魚川の姫川辺た りでザクザクとれるとの事です。 (ほ んまかいな ?????)
唐三彩の像

お菓子

糸魚川の翡翠

◆灯明 としてエゴマを燃や した皿、それの受け皿 も煤 けたままの 10_00年 前 ?位 の土器。 現在のエ ゴマは高価な物ですが、当時は 日常の灯 りとして使われていたのですね。
燈明皿

◆洛陽の埴輪
土偶

◆茶碗の中に龍が二匹描かれている(抹茶茶碗)
双竜

◆青磁の器 の中に魚(双魚紋)が焼き込まれ、外側 も凹凸の模様で焼かれている。(清朝)
双魚紋

◆備前焼きの円柱型の茶碗、重ねて使用 された模様.
抹茶




13:30~ 14:40 (コーダイカフェ)

王都(みやこ)を テーマに植田先生の講義が開催される。

1班
1班

2班
2班

3班
3班

4班
4班

5班
5班

 神代の時代に神武天皇(現在の橿原神宮)か ら始ま り古代の天皇達は、事ある毎に、又、 代替わ り毎に新宮を造営 した。
古墳時代の 4世紀、崇神 。垂仁 。景行天皇は桜井の纏向。 5世紀の仁徳天皇は難波の官。 6世紀の雄略・武烈・継体天皇は桜井。
6世紀中の欽明天皇も桜井に官を造営 した。
7世紀用明天皇(聖 徳太子の父)も 桜井に官を造営。
聖徳太子 と父の墓は太子町の叡福寺に 現存する。太子町は 日の沈む所(太 陽の通 り道)と 言われ る。
飛鳥時代 とな り、代替わ り毎に、飛鳥の同 じ地に繰 り返 し造営 された。
この一帯を倭京 と呼ぶが、飛鳥の地に都城に必須の粂坊地割な どは されていない。 (倭化・・・中国か ら伝来のものが 日本風に成 ること) 白村江の戦いで唐、新羅に敗れた天智天皇は近江大津宮に遷都。
しか し皇位継承争い に勝利 した大海人皇子(天 智天皇の弟)は 、天武天皇 として即位 し都 を飛鳥に戻す。 藤原京・・ 。
今の桜井市にあ り下ツ道、中ツ道、上ツ道がある。
箸墓古墳 を探訪の時、上ツ道を通 り卑弥呼の墓まで歩きま した。
又、内裏は都の中心部に位置す る。
平城京・・・唐の都、長安を模 して造営。
遷都の際は解体 して次ぎの都に持って行 くように 用意周到に準備 されていた らしい。 恭仁京(木 津川)⇒ 難波京 (大 阪)教育会館の隣で道路が高速で無いのは、遺跡部分に杭が打 てないか ら、平面道路 となっているとの事です。
前期(孝徳天皇),後期(聖 武天皇)で 前期は瓦 な しの建築であ り、後期は瓦あ りの建築 とな り時代 と共に進化 している。
平安京・・・四神相応、中国の風水思想 を取 り入れ北の玄武(愛 宕 山),東 の青龍(大 文字山) 西の自虎(嵐 山),南 の朱雀(巨椋池)に 守 られた地に造営 された。
内裏は北にある。 明治維新まで 1000年 の歴史がある。 以上、簡略にまとめています。

資料は王都・ 2000年 歴史絵巻をご参照下 さい。